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2013-1-30 社長blog
厳しかった先生が他界されました
私の中学・高校は結構変な学校でした。
色々変なのですが、「基本、上半身は裸」という外観と、「六甲精神に則っているか」という文言が唯一のルールであり、(決まりきった)校則が無いというルールが「周りとは違っていた」というところでしょうか。
#裸になるのは、2・3時間目の休憩時間(校庭をランニング)と、掃除の時間、体育祭、とかです。
全般的にとても楽しく、面白く、かつ、人生振り返って(今のところ)「あそこに通ってよかったな」と思っています。
六甲学院 といいます。
http://www.rokko.ed.jp/public_html/index.html
その学校で、当時、もの凄く厳しかった(と言われる)先生がいました。「と、言われる」というのも彼はサッカー部の顧問で、私は野球部だったので知らないのです。むっちゃ悪いことをしたら、彼が出てきて「こるあぁ!」と怒られるのですが、そこまで悪いこともしなかった私はほぼ彼との接点がありませんでした。彼をこそこそ避けるようなこともしていないのですけどね。
その先生が先日他界されたそうです。
その情報を同期のメンバが共有したとき、昔怒られまくっていた皆が一斉に「いい先生だった」とコメントしました。もちろん、それぞれの言葉で。過去の記憶が美化されている部分もあると思いますが、本当に良い先生だったのだと思います。今、話題の体罰的なものもありました。「愛があれば体罰は必要」などと杓子定規な事をいうつもりは毛頭ありませんが、体の痛みを伴わないで、どうやって本当の意味での「罰」を与えるのか、は、未だに私の中で出ていない結論です。
体罰の話はおいておいて。
先生の訃報に触れた際の友人のコメントは例えば以下です。
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サッカー部の顧問されていたときは、めちゃくちゃ怖かったですが、とても好きな先生でした。
本当に残念です。
ご冥福をお祈りします。
通夜に参列しようと思います。
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完結ですが、搾り出されたコメントだと思います。
先生の告別式に参加した後輩から、こんな文章も送ってもらいました。
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先生は生徒ひとりひとりの名前や顔、そして生い立ちも驚くべき記憶力で覚えておられたそうです。
その上で後輩教師には常日頃から生徒のちょっとした変化を察知し、ケアすることを促していたそうです。
中高の六年間は心身のバランスを色々な事から崩しやすい時期。それを早く察知しケアするのが教師の重要な仕事だ、と。
また家庭環境の影響で問題行動を起こす生徒のための職員会議を開いた時に、多くの先生が同情から優しく接していく方向に傾きかけた時、先生が一人反対意見を述べられたそうです。
『耐えられないほど辛い事があった時に、優しく接する事が必ずしも教師の役割ではない。よくその点を考えて下さい』と。
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抜粋してしまったので、真意が伝わらないかもしれませんが、深い意味を持つ言葉だと思います。
卒業から、もう、20年が経ちましたがもう一度かみ締めてみたいと思います。
最後に、先生の告別式はこんなかんじだったそうです。
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式は平日にもかかわらず300人近い方が参列されており、先生の遺徳を感じさせる盛大なものとなりました。
最後のお別れの際にお子さん、お孫さん全員が嗚咽し、慟哭し、心から別れを惜しんでおられました
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人生の価値を何かの数字で計ることは本意ではありませんが、平日に300人、というのは、心が震える数字です。
先生の生き様を、自分の中で成長させないと。
今日から、また、一歩良い人間になるために、精進します。
先生、ありがとうございました。
お疲れ様でした。
つくせん、さよなら。