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2012-12-14 社長blog

娘がスケートをしなくなりまして

心が痛いエントリですが、今の気持ちを記録に残したく。

私はスポーツが大好きです。観るのも好きですが、やはり、どちらかというとやるほうが好き。単純に体と動かすのが好きで、筋肉が疲れた感じとか、汗をかく感じも好きです。そして、それなりに体も思ったように動かせる、と思ってきました。

子供が生まれたら、「選手にならなくても良いからスポーツをやって欲しいなぁ」とはずっと思っていました。ちょっとだけ残念なのですが、生まれてきた子供は二人とも女の子。それでも、と思って、上の子は小さな頃から色々なスポーツを試してみました。野球、サッカー、バスケ、テニス、卓球、etc、etc。もちろん、かけっことか、馬とびとかも、色々一緒にやってみました。

でも、残念ながら「おお!こいつ才能あるなぁ!」と直ぐにわかるような天性の適応能力はなかなか無くて・・・・。そんな時、2010年の2月頃(娘が小学1年生の頃)近所のスケートに連れて行ったのですよね。それがちょっと上手かった。で、次のシーズン、やらせてみたら、本人も楽しそうだし、上手くなるのも他のスポーツに比べてとても早い。また、「出来ないこと」にずっと挑戦してる。他のスポーツでは無いことなのに。

2011年の1月ですかね。友人の家族と一緒に、こんどは大き目のスケートリンクに遊びに行きました。すると、その場でおじいさんが教えてくれはじめました。スケートリンクって、なぜかそういうおじいさんって多いですよね。で、そのおじいさんが言うには「この子、ちょっと上手いよ」と。

本人も、私も、もちろん奥さんも少しその気になって「では、もうちょっとやらせてみよう」とスクールに通い始めました。2011年2月から。

それから、2年弱続けました。

私たちの夫婦もそれなりに色々遊ぶこと含め予定があって、1回/週 のレッスンに連れて行って、前後 2時間ばかし練習させることが精一杯ではあったのですが、2年続けてみました。ところが、なかなか彼女は上達しない。何より、最初のように、「ずっと練習する」という事をしなくなっていました。

当然ですよね。子供なんて興味は色々向きますし、ましてや、4年生になって、自我が目覚めて、彼女自身の人格が大きく成長している時期ですから。

それは、わかっています。はっきり言いますが、それはわかっていたのです。

スケートに限らず、彼女の「がんばる」という部分に関して、もう一つ物足りなさを感じ続けていたこの1年でした。「無理!」という言葉をよく使う子供になっていたんですね。私はそれを(ある意味言葉どおりに受け取って)「最初に”無理”といったらあかん」と口酸っぱく言い続けていました。

今年の9月に、どうにもスケートが上手くならない彼女と2つの約束をしました。

 ・パパが決めたスケーティングが 10月中にできるようにならないと、スケートはやめてもらう
 ・パパが決めたスケーティングが 10月中にできるようになるなら、プレゼントを買ってあげる

そして、10月末にテストをしたのですが、ちょっと中途半端でした。約束したことは惜しい感じですができていない。

「もう一度チャンスをあげる」と言って、11月中旬に再テスト、とすることにしました。

先日、そのテストをやってきたのですがやはりできません。

3回やって、できませんでした。その後、彼女が言った言葉が以下でした。

   「もうできない。もういい、スケートやめる」

早いやろ!あきらめるの。

もうちょっとやろ。やってみろよ!やり続けてみろよ!できなくても、やりたい気持ちをこっちにぶつけてみろよ!!!

と、とてもとても思ってしまいました。そのまま、彼女にも言いました。すると帰ってきた言葉が「やらなきゃダメ?」だったので、カチンとして「やってみろ。」と応えました。

そこから、できないと泣きじゃくりながら、リンクを 20週はしたでしょうか。1周して、私が見ている前だけ泣きながら練習する(フリをする)ので、ちっともできるようにはなりません。20周は1時間くらいかかったでしょうか。さすがに意味が無いと思ってやめました。

そして、スケートをやめさせました。

「約束だったから、スケートのレッスンはやめてもらう。でも、スケートは続ければいい。楽しめば良い。楽しかったんだから。遊びにはいつでも連れて来てあげる。妹はレッスンをつづけるんだから。」と話をしました。

そこから、何週か立ちました。下の娘はスケートを続けているので、家族は毎週リンクに行きます。それでも、彼女は滑りません。買ってあげた時に、あれほど喜んでくれたスケート用の服やスカートも妹に「あげる」と言ってあげてしまいました。

娘は私に心を閉ざしたわけではありません。今でも、帰宅して起きていると玄関上がりかまちの私に飛びついてきます。

それでも、それでも、ですね。

私は彼女の人生に大きな何かを残してしまいました。これは、彼女が人生を歩む上で必要なことだったのか。今後の彼女の人生で意味を持つことなのか。

わかりませんが、私自身は悶々としています。悩んでいます。そして、「もう、スケートはしない」という彼女の言葉を聴くと心が揺れます。

まだ、結論も何もでていない現状ですが、まずは、この気持ちを忘れないようにエントリしました。