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2006-10-31 自由人blog

核の論議

昔は政治が好きでした。
かなり、興味を持っていましたし、朝日新聞も5面くらいから読んでいました
#確か、朝日新聞の政治欄は5面くらいですよね?。

最近、とんと興味を失っています。
理念が無いなぁ、というがっかり感が全てです。結局、政治というものは利害調整の場でしかないのかなぁと思ってしまいましたので。

そういうわけであまり詳しい情勢は知らないのですが、最近なぜか「日本も核を持とうか」という議論が起こっているようですね。

もちろん、本格的な議論ではなく、議論を起こすための議論であったり、「まずはぶち上げる」という程度のものかもしれませんが。出所は、中川政調会長、麻生外務大臣あたりですね。

なぜ今頃核保有論議なのでしょうね。
まったくありえない話ですよね。でも、なぜ持ち出したのでしょうか?北朝鮮に圧力をかけるため?中国に圧力をかけるため?次の総裁選に向けた存在アピール?

もっと深いところからの議論だとうれしいのですが。

というのも、日本と北朝鮮の不仲は相当のものですよね。ここ数年に関して言えば、韓国よりも悪いと言えると思います。

その隣国が、ですよ。
人をさらってその国を学習することを思いついて、やってしまうような隣国が、ですよ。

核実験をしたというのに日本人の反応の無さってひどくないですか?ホントの話、日本に打ち込みますよ、彼らは。韓国に落とすと自分のところに被害が及びかねないし、アメリカまでは届かない。ならどこに打ちます?間違いなく日本ですよね。

なのに、平和すぎる。日本。

・・・・いい国だ。
・・・・幸せ。



なんていうつもりはありません。もう少し緊張感が必要ですよ。日本という国全体に関して。その緊張感を励起するための核保有論議であれば私は諸手を上げて賛成です。いや、核を持つという選択肢は大反対ですが、若年層に国や、将来、自らが寄って立つ存在価値の確認、そんなことを考えさせてくれるひとつの切り口になるのであれば大賛成です。

なにしろ今の日本には緊張感が無さ過ぎるように感じます。一昔前(90年代)のアメリカみたいじゃないかな、と。その社会全体の雰囲気を象徴するのが若年層だと思います。ニートの増加などその典型だと感じます。

彼らからは無力感というか、未来に対する脱力感というか、そういうものを強く感じてしまいます。社会がエネルギを持てていないと感じています。湧き上がるようなエネルギを若年層から感じることが無い。唯一感じる機会は六本木などで、ビジネスの勉強会に出たときです。そこでは経済的な成功を夢見て溢れんばかりの意欲を臆すことなく見せつける若い人がいます。

そうです。今の日本はお金に関する部分でしかやる気をストレートに見せる人がいないのです。

もちろん、ちょっと御幣があります。
スポーツ選手で感心するような方もいます。

それでもやはり少数だと感じています。

なにかがおかしいと感じます。
それを修正するための核保有議論であればうれしい。

まぁ、核保有議論なんて百害あって一利なしだなと思いながら聞いていたのですが、ひょっとすると価値が無くも無いか、という程度で思いついた考え方なんですけどね。

少なくとも核保有議論と言論の自由が一緒になって主張されているようでは私の思うような展開にはならないですね。